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その後、ザ・ジョージアンクラブ(フレンチレストラン)のオープンニングの製菓長としてお誘いを受けました。このことは、私にとって大きな挑戦でした。
その時の私は27歳。「そんなに経験があるわけでもないのに、こんな素敵なレストランのお菓子を作れるのかな?しかも、製菓長…。」大きな不安もありましたが、スタッフみんなで盛り上げていこう、作り上げていこうと言う環境があったのがよかったですね。
その時は、まだ自分がどんなデセールを作りたいのか?ということさえはっきりと分からない時期でした。とにかくに毎日が勉強でした。
仕事以外でも様々なレストランを食べ歩いたり、夏休みを利用して、ジョージアンスタイルの発祥の地だというイギリス、そしてフランスをまわりました。フランスでは、3つ星レストランを食べ歩きました。そこでは、レストランを構成する建物、料理、そしてそこで働くサービスマンの動きひとつとっても歴史を感じる素晴らしいものだと思いました。
自分から何かを探すということでは、食べ歩き意外にも「素材探し」もよくやりましたね。ザ・ジョージアンクラブには、特別な日のお祝いでお食事にいらっしゃるお客様が多いです。ですから、普段はなかなか出会えないような素材を探しては、ここでしか食べられないような特徴のあるデセールを作ることもよくありました。
4年ほど製菓長を務め、顧客も定着して基盤が出来てきた頃、30歳を迎えました。今までお菓子作り、皿盛りのデセールを作ってきましたが、今後もレストランでやっていきたいと思っていたので、パン作りについても勉強したいと思いました。
そのため、腰を据えてじっくりというわけではありませんでしたが、パン屋で半年ほど働きながらパン作りの基本を勉強しました。
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その後、いろんなレストラン等のオープニングの手伝いをしたり、クレセント(フレンチレストラン)で製菓長として働きました。それまでレストランでの仕事をしばらく続けてきましたが、次第にケータリングに興味を持つようになりました。
ケータリングではイベントごとに予算もテーマも違うので、その時その時にあったお菓子を作り上げるということに魅力を感じていました。そのため、「フェイバリット」に入社し、ケータリング部門の「エスケープ」で様々なパーティーやイベントへのプティガトーや大型のアントルメなどを作っていました。お客様が喜んでもらえるようテーマに合わせたお菓子を作るのは楽しかったですね。
当初はケータリングのみを考えていたのですが、フェイバリットがテイクアウトのパティスリー「エモーションズ」を立ち上げたこともあり、その後はエモーションズのシェフパティシエになりました。 |
| ▲クリスマスケーキに使うペーストについて香料メーカーの営業マンと打ち合わせ |
7〜8名のスタッフと共に製造をしていましたが、やはり大量注文やイベントがあるととても忙しく全てのスタッフに目を配ることも出来なくなり、打ち合わせや事務作業等シェフとしての業務も多く、実際お菓子作りに関われるのはほんの一部だけになってきました。
そんな状態がしばらく続いて、次第に「自分のやりたい方向性と違うな。」と違和感を感じていました。
そして、私は原点に戻ろうと決心しました。
「お客様ときちんと向き合いながら、100%責任を持って最初から最後まで自分の手で納得できるお菓子を作りたい。」これが私のお菓子作りの原点です。そのため4年半所属したフェイバリットを辞めた後スウィーツプロデューサーとして独立しました。 |
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様々の業者さんとの打ち合わせは、商品以外に業界の情報交換をする貴重な機会だ。▲
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